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今日は金曜日ということで、いつもの現場の様子ではなく、以前にお伝えしていた通り庄原市の歴史について紹介したいと思います。
今回取り上げるのは、庄原市西城町にある、比婆山と熊野神社についてです。
庄原にお住まいでしたらご存じの方も多いと思われますが、この比婆山には、あの伊弉冉命が亡くなれた際に葬られたとされる御陵があるのです 。
なぜ比婆山に葬られたとされるのか、それは古事記の一節に、伊弉冉命が火の神を産んで亡くなられた後、「出雲国(島根県東部)と伯伎国(鳥取県中部・西部)との境の比婆之山に葬りき」との記述があるためです。
葬られたとされる地は他の場所にもあり、鳥取県西伯群南部町にある母塚山や、島根県安来市の比婆山、鳥取県日南町の御墓山の3か所があります。
それぞれ各地に伝承があり、もし地元だったらと思うとロマンを感じますね。
ちなみに庄原市の比婆山と、以上の3か所はおおよそ一直線上の位置にあります。
もしかすると、その直線上すべてが該当するのかもしれませんね。
また、庄原市の比婆山のふもとには、御陵の遥拝所として信仰を集めて来た、熊野神社があります。
熊野神社の祭神はもちろん伊弉冉命で、旧名は比婆大神社と呼ばれていました。
嘉祥元年(848)に熊野神社と改称されます。
この熊野神社の見所として、100本を越える老杉があります。
その中には樹齢1000年を越えるものもあるといわれています。
これらの内、11本が「熊野神社の老杉群」として、昭和27年(1952)2月22日に広島県天然記念物に指定されました。
この熊野神社、旧名比婆大神社が奈良時代の天平5年(733)に創建されるまでは、磐境と呼ばれる、霊が宿るとされる巨石で比婆山御陵の祭儀が行われていたと伝えれられています。
神社ができる前は、このような信仰の形をとっていたのですね。
場所については諸説ある伊弉冉命の御陵ですが、どこであったとしてもロマンがあり、私たちの想像を駆り立ててくれることには変わりないなと感じています。
終わりに
さて今回は、比婆山と熊野神社についてご紹介させて頂きましたが、まだまだこの地域にはたくさんの歴史や伝承があります。
少しずつではありますが、これからもご紹介していきたいと思いますので、よろしくお願いします!
それでは今日はこの辺で!